天草島原の乱をとおして一揆というものは何ぞよと考える
天草島原の乱は農民一揆だったと、よく言われています。それは当時天草において、唐津の寺沢堅髙城主の城代であった三宅籐兵衛により重税が課せられ、さらに寛永十一年より大旱魃からの凶作による飢饉からの苦しみが一揆に発展した。
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上の画像は天草島原の乱ではなく、ファミコンの名クソゲー「いっき」
天草島原の乱でも、武器は「かま」をつかったのでしょうか?
一揆というものを少し紐解いてみたい...
wikipediaで見ると
一揆(いっき)とは、何らかの理由により心を共にした共同体が
心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、
またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、
これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。
戦国時代中国の儒学者『孟子』(紀元前372年?-紀元前289年)という人物に
由来する言葉で、江戸時代になると幕府に公認された既存の秩序以外の形で、
こうした一揆の盟約による政治的共同体を結成すること自体が禁じられるようになるため、
近現代の日本では一揆自体があたかも反乱、
暴動を意味する語であるかのように誤解されるようになった。
確かに一揆が反乱的、暴動的武力行使に踏み切ることもあるが、
こうした武力行使が一揆なのではなく、
これを行使する「盟約に基づく政治的共同体」そのものが一揆なのである。
(ちょっと難しい...)
一揆というとイメージするものは「百姓一揆」がまっさきに浮かぶ、
加賀や三河などでおきた、一向一揆などの宗教一揆も数多く見られた。
「一揆」が反乱とか武装蜂起と同じだと思っている人がいますが、
そうではなく、現代で言えば社員達の同志的な集団である企業の組合と似ている。
話し合いで解決出来ない場合の最後の手段として
戦闘行為(ストライキ)に及ぶことはありますが、
あくまで自分たちの主張を通す為の戦いであり、
反乱とか政府転覆といった意図は一切ありません。
そこが革命、暴動、クーデターとは大きく違う点なので、
本来は、はっきりと区別されるべき言葉であります。
ここまでくると、
私が知りたい調べたい歴史とは
少しはなれてくるため、
一揆についてはここらへんで終了したいと思います。
それでは、天草島原の乱とはいったいどういった観点からの一揆であったのか、
ここで、天草四郎・天草島原の乱を詳しく調べておられる、
天草キリシタン文化史研究会代表の鶴田文史先生の言葉を引用させていただきます。
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乱の性格と意義
み なさん島原の乱というのは当然ご存じだとは思いますが、この乱には三つの性格があるといわれています。一つは、キリシタンの一揆という形で起きた乱である というということ(一揆というのは、農民たちがある目的のために団結して闘うことで、それが戦争状態になって、政治情勢にまで影響を与えるようになったも のを乱といいます)、もう一つは、それが農民一揆、農民戦争であったのだという説、そしてもう一つは、浪人一揆であったという説、この三つがいわれている わけです。この三つとも、どれか一つをカットするというわけにはいかないものですが、大切なのは、この三つがどのように絡んでいるのか、どれが主要なもの なのかということの追求と判断ということになってきます。
徳川幕府によって宣伝されてきたのはキリシタン一揆というのが強くて、それが明 治以降も大きな影響を持っていたわけです。ところが、昭和の初め頃から、民衆の労働運動、社会運動が盛んになるにつれて、史的唯物論的観点から、「いや、 あれは農民の戦いだったのだ」ということがいわれ、そしてさらに、戦後になって日本の民主主義運動の高まりとともに、学界における民主主義的研究も深めら れて、「天草島原の乱は民主主義の戦いだったのだ、農民一揆が本質なのだ」ということがいわれるようになってきたわけです。
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熊本県観光サイト なごみ紀行 ふるさと寺子屋 No.054 「 西海の乱と夏目漱石 」より
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