天草島原の乱、激戦地に架かる国指定重要文化財「祇園橋」
町山口川に架かる、国指定の重要文化財「祇園橋」。天草島原の乱の本渡合戦ではこの場所で天草四郎率いる宗徒軍と幕府軍の激しい戦いがあった場所でもあります。
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天草市の中心部(旧本渡市)に位置する町山口川に祇園橋は架かっています。
残念なのは、祇園橋は天草島原の乱のときからあるものではなく、
乱後の1832年(天保3年)に建造されたものなので、
基本的には天草島原の乱には関係ありませんが、
約200年もの昔に建造された石橋ということで、
とても歴史を感じさせてくれるため、ぜひとも天草においでの際は
ご覧頂きたい名所となっています。
より大きな地図で 天草四郎 を表示

ちょうど冬に訪れたこともあり、町山口川では冬鳥たちが天気もよいということも重なって
楽しそうに泳いでいました。

祇園橋は天保3年(1832年)町山口村の庄屋、大谷健之助が発起し架設したもので、
祇園神社の前にあることから、祇園橋と呼ばれています。
天草島原の乱行こうに建造されたものですが、
石造桁橋では、日本最大で長さ28.6m幅3.3mあり、45脚の石柱によって支えられています。
下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されています。

祇園橋を横側から見たところ。とても歴史を感じる風格を備えています。

祇園橋説明システムなるものを発見。いったいどうなるかは
実際に来たときにボタンをポチっと押してみて下さい。

石橋なだけに、橋の上を歩くととても雰囲気が良いのですが、
町の中心(天草ではこれが中心の町並みです。)に架かっているため、
廻りの景観に関してはあまり良いとは言えないかもしれません。

歳月からくる劣化でしょうか?石の一部が木に変わっているようです。
さすがに石で頑丈に作られているとはいえ、歳月による衰えにはかなわないようです。
しかし、後世に残していかなければいけない、大事なもの...
これからも大事に受け継いでいってもらいたいものです。

昔の橋ですので、今みたいにいろんな種類の建築方法があったわけでもなく、
ただ単に石を積み重ねて作ってあるのですが、
微妙なバランスの上に成り立っているため、今では逆に難しい作り方なのかもしれません。

ちょうど潮が引いていたので、橋の下に降りてみました。
下からみる祇園橋はとても重厚感があり、迫力がありました。
祇園神社側から祇園橋の下へ降りることが可能ですが、
この町山口川は潮の満ち引きがありますので、
干潮でなくては下に降りれませんので、潮汐はご確認のうえ、
お越し下さい。
また降りたとしても石がかなり滑りますので、御注意ください。
(私も少しずるっといきましたので...)

祇園橋を渡って、祇園神社にも行ってみました。

国指定重要文化財 祇園橋の石碑

祇園橋の名前の由来となった祇園神社です。



この写真は昔の祇園神社と祇園橋を撮影したものです。
右にある大木は「南蛮えのき」といって、
樹齢三百有余年、樹高約20m、目通りの幹回りは3.7mで、
四周に大きく枝葉を茂らせ、天空高くそびえ、
天草の乱後のふるさとの歴史を見守り続けてきた銘木でしたが、
長き風雪にたえてきた銘木も老朽化が急進して
倒壊の恐れが高まり樹木専門家医の調査の結果、
悲しい診断が下され、
平成9年7月25日、市民が多数見守る中、
伐採されることとなった。
そのため、この昔の写真のみが
唯一、ありし日の御神木「南蛮えのき」を見ることができる...

祇園橋が架かる、町山口川は寛永14年(1637年)11月14日に
天草島原の乱の本渡合戦が繰り広げられた場所...
天草四郎率いる宗徒軍と富岡城番代三宅籐兵衛の唐津軍が激突し
多くの殉教者と戦死者があった...
その死体はこの川に山積みにされ、
川は血で赤く染まり、血の川となって、
その悲しみを運び、海に流れ込んだということが伝えられています。
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