およそ百間もの石垣が連なる「富岡城百間(塘)土手」(苓北町)
大手門の次に現れる石垣、それが百間土手。築造当時の石垣がそのまま残っています。百間塘(土手)で溜池(袋池)を造り内堀にし、城の守りを堅固にするための設計がなされている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


天草島原の乱後、富岡城主となった山崎甲斐守家治は、城の守りを堅固にするため、当時入り江だったこの場所に土手を築いて汐を止め、土手の内側にあった屋敷を移転させ、川水を湛えて内堀にしました。土手の長さ94間半(170.1m)、上部道幅1丈5尺5寸(4.7m)、底辺の幅20間(36m)、高さ4間半(8.1m)でした。この土手の端に水路を造って堀の水位を一定に保ち、この水路の上に廊下橋を架け、戦の場合はこれを壊せるようになっていました。土手の長さが約百間あったということで、この名前がつきました。
より大きな地図で 天草四郎 を表示




この記事に関する広告
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: およそ百間もの石垣が連なる「富岡城百間(塘)土手」(苓北町)
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://amakusa46.com/mt/mt-tb.cgi/48
コメントする
SiteName:天草転生†天草四郎
URL:http://amakusa46.com/
Operation-Site
http://3goku4.com/
http://1000goku.com/
Copyright (C) Amakusa46.com
All rights reserved.
当サイトに掲載している
Amakusa46.com独自の
ロゴ・イラスト・画像などの
商用目的での利用は禁止します。
使用される場合やお問い合わせは
メールでご連絡くださいtokisada@amakusa46.com
当サイトは特定の宗教法人や
思想団体などとは
一切関係ありません
Shiro Amakusa
このカテゴリーに関する記事一覧